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2010-07

退院日 - 2010.07.31 Sat

外泊から戻った翌朝(入院八日目)6時頃、採血がありました。
その結果次第で、退院できると言われていました。

朝食後しばらくしてから主治医のS先生がやってきて、血液検査の結果が良好だったことを知らせてくれました。
プリントアウトされた結果を見ると、入院時に高値を示していた白血球数もCRPも好中球も、皆正常値の範囲に入っています。
「退院していいですか?」
「いいです」
「今日でもいいですか?」
「いいですよ」
やったっ!
「本当にお世話になりました」と頭を下げたら、嬉しい中にも、なんだかちょっと寂しかったです。

昼食前にでも帰って良かったのですが、迎えに来てくれる夫の都合でお昼を食べてから帰ることにしました。
昼食はまだ五分粥だったものの、おかずは普通食になっていました。

迎えにきた夫とともに、ナースステーションで挨拶して、リストバンドを裁ちばさみでバチンと切って貰った時、枷がとれたような解放感とともに、またまたちょっと寂しい気持ちがしました。
が、すぐに「そうだ、お世話になった医師も看護師もみんな同僚だったっけ」と思いだしました。
入院当初、「イマイチ患者になりきれてない」とTちゃんに言わせたのに、いつの間にか職員であることの比重の方が軽くなっていたとは。
「みんな同僚だった」と思いだした途端、誇らしい気持ちでいっぱいになりました。リハ科の仲間だけでなく、他部門にも素晴らしい人たちがたくさんいる職場で働けることを幸せに思いました。

入院から退院までの八日の間、色々なことがあって、Tちゃんの言うように幸せを感じ易くなった気がします。
一杯のお茶を飲めること、ご飯が食べられること、家族がいること、家で眠れること、温かく人間味のある仲間と一緒に働けること、心配してくれる人があちこちにいること(オフラインにも)、今生きていること。
日々の生活に追われて、この感度の良さを失うことのないようにしたいものです。

外泊2 - 2010.07.30 Fri

次の日の朝、8時半ごろ斎場に着くと、夫が前の晩にあった不思議な出来事を話してくれました。
夜中に、祭壇や棺のある部屋から、椅子を並べて何か相談でもするような声が聞こえたというのですが、実際そんな時間に葬儀社の人は仕事はしていなかった、ということが確認されたというのです。
その建物の中に居たのは、我が家の男性陣と義母と本家の伯父さんの5人だけ。しかも、その音は義母と伯父さんも聞いたと言います。
また、朝になってみたら、祭壇に供えられた大根やさつまいもなどが傍の灯篭をなぎ倒して下に落ちていたそうです。
「そっちは随分賑やかだったのね」と言ったら娘が、「家も色々聞こえたよ」と言うではありませんか!
娘は家の中に私とは違う、もう一人の人の気配を感じていたそうです。
「だから『一緒に寝たい』って言ったの?」
「そう」
ここで私は、20年ほど前の義父の言葉を思い出しました。
義父の母親(夫の祖母)が亡くなった時、亡骸を前にして悲しむ人たち(夫を含めた孫や娘)を見て、私にこっそり言いました。
「あれは亡骸なんだ。殻だよ、空なんだ。そこには居ないんだよ。何を悲しむことがある?」
なるほど、義父は身体の中には居ないことを主張しようとしたんだな、と私は密かに納得していました。

しかし、納棺の時に義父の妹が「寂しくなっちゃうじゃないの、兄さん!」と頬に手を触れて泣いた時、(やっぱり殻であっても身体は大事だよ)と心の中で義父に言いました。

義母は義父の生前、「俺が死んだら、ちゃんと人工関節が埋まっていたか確認しておいてくれ」と言われていたらしいのですが、いざとなるとそれどころではなく、「どうだったかしら?」と不安そうでした。
夫も覚えていないと言います。私は大腿骨にきっちり埋まった人工股関節をしっかり確認してあり、そう伝えると義母はすっかり安心しました。少しは役に立てて良かったです。


全ての儀式が済んで、義父の遺骨と義母を家に送り届けて、私たちも自宅に戻ってきました。
忌中払いの料理をろくに食べていなかった私は、そこで夕食としてバナナを食べヤクルトを飲んで、シャワーを浴びて再び病院に戻りました。
夫は、さぞかし心身ともに疲れていたでしょうに、車で送ってくれました。

自宅に戻ったのにその晩そこで寝ない、というのはとても寂しく、送り届けてくれた夫の車が見えなくなるまで見送っていました。
が、病院のベッドに戻るのはそんなに嫌ではありませんでした。
私もクタクタに疲れていたためか、家事の一切を放り出して療養に専念できる入院生活を、この時初めて嬉しいと思いました(笑)
残念ながら、その晩も熟睡はできなかったのですが。

外泊1 - 2010.07.29 Thu

火曜日に出勤したまま入院となったため、日曜の午後久し振りに建物の外に出ると、あまりの暑さに驚きました。
いつの間にか梅雨も明けていたのです。

妹一家が車で迎えに来てくれて、家まで送り届けてくれました。
お通夜のその日、我が家族は親族として早目に斎場に行く必要があったため、迎えには来られなかったのです。
私はシャワーを浴びて着替えてから、単独で斎場を目指しました。
手首に入院患者であることを示すリストバンドをしたままだったので、黒いリボンを巻いて隠して出かけました。

自宅から駅まで自転車で行きましたが、いつも通勤に使っている方法なのに、この時はものすごく疲れました。
電車で二駅乗って、それからタクシーに乗り替えて、やっと斎場に着いた時は、息が上がっていました。
う~ん。若い人でさえ二三日の安静で筋力が衰えることはわかっていて、それを防ごうとなるべく起きていたにも拘わらず、やっぱり衰えてました。病室でスクワットもやってたんだけど。

義父の死因は溺死だったそうです。
ただ、頭を強く打った様子もあり脳出血もあったことから、散歩中転倒して用水路の縁にでも頭を打ち付け、朦朧とした状態で水に落ちたのではないかということで、苦しみが少なかったかもしれない、という救いはありました。

遺族の控え室に居た家族や義母は、意外と寛いでいました。
次男などはジャンプを読んでました
「大変な時に何もできなくてごめんさい!」と義母に駆け寄ったら、義母は「お父さんは、入院しているの知ってたんだから来なくて良かったのよ」と労わってくれました。

儀式が始まる前、義母と夫と私の三人で最前列の椅子に座っていたら、色々な人が挨拶にいらして、その都度義母と夫は立ち上がって挨拶するので私も倣っていたら、眩暈がしてきたので座ったまま会釈するだけに止めました。横着な嫁と思われたかもしれません(苦笑)

式は神式です。なので、正確にはお通夜ではなく通夜祭と呼びます。
神主さんが三人もいらして、参列者も200人近くあって盛大に行われました。
通常、現役を引退した人の葬儀にはそんなに人が来ないそうですが、老人会の会長をやっていたり、現役時代の人望が厚かったりで、たくさんの人が偲んでくれたようです。

通夜祭が済むと、神主さんたちにご挨拶にいきました。
その日メインで仕切って下さった方が、以前不思議な体験をしたことを話してくれました。儀式の最中、しきりに咳払いが聞こえ、後にご遺族に聞いたら、咳払いが癖になっていた方だったと言うのです。
そして、「実は今日も、ずっと水の音が聞こえていましたが、何か心当たりはありますか?」と言われました。私は水死したことを連想しましたが、しばらく考えていた夫は「盆栽への水やりをすごく気にしていました」と答えました。すると義母も「私が代わりに水やりすると『少ない少ない』っていつも言われるんです」と言い、神主さんも「きっとそれですね」と納得しました。
水が肺に入って苦しい最期だった、などと義母に思わせないように夫が配慮したのだと思いました。


その晩、義母と夫と息子たちは斎場に泊まりました。
私は長女の運転で自宅に戻りました。
通夜料理には一切口をつけず、帰宅してからうどんを煮て食べました。
そして、一緒に寝たいと言ってきた娘と枕を並べて眠りました。
夜中にトイレに起きた時、スリッパをはこうとして、いきなり床に足がついたので驚きました。布団なのに、病院のベッドにいる感覚だったのです。「ここは家だっけ」と思いだしました。

五日目・六日目 - 2010.07.28 Wed

土曜の朝、主治医のS先生が来て「お話は伺いました」と言います。
その頃には葬儀の日程が決まっていたので、私は翌日日曜日のお通夜と月曜日の告別式に出たい、と訴えました。
S先生は日曜午後から1泊の外泊を許可してくれました。
研修医のs先生が「(点滴針を)ロックして行かせますか?」と聞いた時、「それは外してあげようよ」と答えたのと、「大丈夫かなあ」と繰り返した上「まだ三分粥を食べてるのに~」と悲しそうな声で心配してくれたのとで、主治医S先生に対する好感度も突然上がりました(笑)

ところで、検査入院された方が向かいのベッドにいらっしゃいました。
義父の亡くなった同じ日に、どうやら悪性のものが見つかったらしく、時々大きなため息と家族に泣き声で話す声が聞こえ、私は言葉をかけることもできないでいました。
この日、とりあえず退院したこの方、部屋を出る時私に「お話を聞いてしまいました。大変でしたね」と慰めの言葉をかけてくださったのです。
自分も大変な時なのに。
「こんなことが起こるとは、全く考えたこともありませんでした」と答えると、その方も同じ言葉を繰り返しました。そうだろうと思います。
本当に、全く思いもかけないことが自分の身にも降りかかるものなのだ、ということを強く感じた1週間でした。
この方が健康を回復することを強く念じて、お別れしました。

この日はベッドに腰掛けてひたすら読書し、あとは点滴とゆっくり時間をかけての食事とで、静かに過ぎて行きました。

日曜の朝、お腹の調子が芳しくありませんでした。
三分粥とはいえ三日の絶食の後で、しかも抗生物質で腸内細菌をやっつけた後では、腸も調子が出なかったのだと思います。
痛みはないものの、ザーッと出て行く感じ(尾籠な話ですみません
S先生が来た時に話すと「やっぱり」と言います。
それでも外泊は禁止されませんでした。
消化の良いものを食べ、水分を多く摂るよう注意を与え、また「大丈夫かなあ」と言いながらベッドサイドを離れていきました。
S先生、心配してくれて、本当にありがとう

この日の昼食は五分粥になっていました。
水分の割合が減りご飯粒がしっかり見える、よく見るタイプのお粥です。これは本当に美味しかったです。

食事が再開されたことから、点滴はこの日が最後でした。
抗生物質の点滴100mlと、補液の点滴500mlを午前中に同時に落とし、お昼を食べたらすぐ出るつもりで、12時半には妹が車で迎えに来てくれることになっていました。
しかし、点滴のスピードを最大に上げても、なかなか落ちていきません。
血管が詰まってしまったらしく、やや血管外に漏れている感じ。
私は点滴の針を入れにくいタイプのようで、ナースたちは苦労していました。初日に入れた針はなんとか三日持ちましたが、その後は一日経つと漏れ始めてしまい、入れ替えたのです。しかも、それも上手くいかず、“もっと先輩”を呼びに行ったり。

昨日入れ替えたばかりなのでなんとか頑張りましょう!と、そのまま続行することになりました。
二つ同時だと落ちにくいからと、優先順位の高い抗生物質の方だけを落としたら、結局補液の方は間に合わず、「水分たくさん摂ってくださいね」とナースにも念を押されて、外泊に出ました。

四日目 - 2010.07.27 Tue

金曜日に日付が変わる頃の夜中、トイレに目覚めました。
ずっと点滴が入っているので、一晩に1回か2回はトイレに行きたくなるのです。

トイレから戻って「何時かな?」と何気なく携帯を見ると、メールが一通届いていました。
夜中にメールを読んだら眠れなくなると思いましたが、消灯時間をとっくに過ぎてから着信した夫からのメールだったので、急用かと思って開いてみました。
すると「もう寝たかな?」という前置きの後に「親父が亡くなってしまった」と書いてあります。
寝ぼけた頭では、一体どこの親父かピンときません。
そののちに続く「用水路に落ちたらしい」という文章で、やっと夫の父のことだとわかり、一気に血の気が引きました。全くすとんと内臓が落ちていくような感覚でした。

死因がはっきりしないため、夫はまだ病院だか警察だかにいる様子で、「今夜は家に帰れない」と締めくくっていました。
その時夫や義母がどういう状況にあるかはわかりませんでしたが、少なくとも物理的にも精神的にも眠れない夜を過ごしているのは確かだと思われました。
「詳細はまた連絡する」とも書かれていたし、その時の私にはどうすることもできないので、返事を書くのは朝まで延ばしました。

つい数時間前、面会に来た夫と長男から、元気に過ごす義父の様子を聞いたばかりでした。
顔を見せた長男にお小遣いをくれたとか、次男の今学期の成績が思いのほか良くて先生から褒められた、という話をしたら大喜びして次男の分のお小遣いもくれたとか、私の入院に驚いたとか、そんな話を聞いたばかりだったので、突然の死が全く信じられませんでした。
私は、温かくユーモアがあって懐の広い義父が大好きだったので、夫や義母とは比べ物にならないけれどやっぱりショックは大きかったです。生前の義父の色々な言葉が思い出されたのと、何の役にも立つことができない悔しさで、涙があふれてきてその後はほとんど眠れませんでした。

朝、メールすると返事が来ない代わりに夫が午前中早い時間にやってきました。今後、面会に来るのは難しくなるからと。
わかる範囲で詳細を教えてくれましたが、散歩中用水路に落ちたらしい、誰も目撃者がいなかったので死因を特定するために解剖が必要で遺体は別な場所に移される、死因が特定されるまで死亡診断書は書いてもらえないし葬儀の手配ができない、という話をしてすぐさま帰っていきました。夫の伸びた髭が痛々しく切なかったです。

その日担当のナースが朝の挨拶に来た時、すぐにその話をし、お通夜や告別式の日取りが決まったら外出したい、と伝えました。
実は、その日の担当は元々ちょっと苦手なナースだったのですが、話を聞くと踵を返して主治医に連絡を取ってくれたことで、好感度が急上昇しました。

主治医も飛んできてくれました。と言っても研修医ですが。
本当の主治医S先生はこの日は不在で、いつも一緒に診てくれる研修医s先生(どちらもS先生!)が来てくれたのです。
義父の話を確認したあと最初の言葉が「大丈夫ですか?」と私の精神的なダメージを気遣う言葉だったので、研修医s先生に対する好感度も上がりました。
「いつからなら外出できますか?」と聞いたところ「今日にでも」という答えには疑問でしたが(笑)
だって、まだ絶食中、点滴だけで何も口にしていない状態で外に出すでしょうか??

しかし、その日の採血結果が良好だったため、夕食から三分粥とミキサー食が始まりました。
義父のことがなければ、久し振りの食事にもっと大喜びしたでしょう。
火曜日の朝軽く食べてから10食分抜いた後の食事でしたから。
義父の死を知って以降、自分の体は二の次になってしまい、楽しみだった食事への関心も薄れました。
それでも、夕食が来た時、たまたま同室の方たちが不在だったので、写真は撮りましたが(関心が薄れたとは思えない行動)

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(上から時計回りに)ささみのテリーヌトマトソースかけ、大根と里芋の含め煮、三分粥

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かぼちゃの寄せ物、味噌汁、ジョア

三分粥は重湯の下にふやけたご飯粒が隠れていますが、大変水っぽいです。でも、しみじみ味わうと重湯も美味しかったです。
他のおかずも、ごくうす味で食感も初期の離乳食に近いものでしたが、三日間以上絶食した口には十分な味でした。
ゆっくりゆっくり、生きていることを実感しながら食べました。
普段なら食べられる量ですが、お腹がびっくりしそうなので、7割くらいにとどめておきました。

二日目・三日目 - 2010.07.25 Sun

二日目の朝は、5時頃目が覚めました。
この時期明るくなるのが早いし、年配の方々が起き出す気配がすれば、自然と目が覚めます。
起きた時の調子は良くありませんでした。まだ痛みはあるし、寝汗をびっしょりかいているし、姿勢が変えられなくて腰は痛いし肩は凝るし。それでも、気持ちは前向きでした。

私は窓際のベッドで、しかもとりわけ景色の良い方角を向いていたので、窓いっぱいに地元の150mほどの山が見えました。低い山の頂上付近に白い霧でがかかっているのが、目覚めと同時に見え、美しいなあと感動しました。
まだ梅雨が明けていない頃で、低い灰色の雲が驚くほど速いスピードで流れていくのを眺めていると、風に飛ばされた風船も見えて、ちょっとラッキーと思ったりしていました。
ぼんやり空を眺める機会など、考えてみれば子どもがごく小さかった時以来かも。
また、訪問用の車を置いてある駐車場も見えたので、誰か見えないかな、と眺めていました。
この機会に読書に励もうと、昨日夫に本を何冊か持ってきてもらっていたので、日中は空や外を眺めたり本を読んだりして過ごしました。

夫が面会に来てくれていた時、栄養士のKさんがやってきました。
Kさんは隣のベッドの方のところに栄養指導に来たのですが、間違えて私の方のカーテンを開け、そこで私の顔を見てビックリ仰天しました。
Kさんは以前から親しいハリポタ仲間です。
「ちゃんと、ハリポタも持ってきてもらいました~」と報告するのも忘れませんでした。
夫はカメラを持参し、「記録に」と点滴に縛られた私の姿を何枚か撮影していきました
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ベッドサイドの様子(私はカット)

この日は母もやってきて、パンツをたくさん買ってきてくれました。
さすが、つい最近まで入院していただけあって、必要なものを良くわかっています。

絶食中ではあっても水分を取ることは許されていて、三度の食事の前に配られるお茶は飲むことができました。
「そのお茶が楽しみなんだ~」と夕方会いにきてくれたTちゃんに言うと、「幸せの閾値が下がってるねぇ」と言われました。
つまり、些細なことで幸せを感じるようになっている、という意味ですが、入院して色々制限されてみると、本当に今まで感じなかったようなことに喜びを感じるものだと思いました。
その後Tちゃんは、漢字の問題を出しっこしよう!と言って、しばらく遊んでいってくれました。

三日目の朝、痛みはずっと良くなっていましたが、テンションは下がっていました。起きると頭がクラクラします。
これは、寝てばかりいるために起こる、低血圧だと思われました。クラクラするからと横になれば、いつまでたっても同じことの繰り返しです。ここは我慢してじっとしながら起きていようと思いました。
しかし、気持ちは悪いし、軽い頭痛はあるし(細かい文字を読み続けたせい?)、昨日まであった食欲は無くなっているし(この時既に5食抜いてした)、不快な朝でした。
何より驚いたのは、気力がなくなっている、ということでした。
テレビも見たくないし本も読みたくないし何もかもどうでもいい、という気分になっていることに驚き、ちょっと焦りました。生きる意欲が減少したかのような気がしたので。

本は読みたくないけれどハリポタなら読めるかも、と「賢者の石」を読んでいると、栄養士のKさんが、今度は私の栄養指導にやってきました。
絶食によるダイエット効果を期待している私に「すぐに元に戻る」「むしろリバウンドの方が心配」と脅します。そして、やっぱり話はハリポタ方向に行ったり。
元気なKさんと話しているうち、少し元気が出てきました。
昼休みにはTちゃんがやってきて、話していたら気力が戻ってくるのを感じました。食欲も出てきました。(まだ食べられないけど)全くありがたいことです。

この日は夫と一緒に長男も面会に来ました。夫の両親宅を訪ねた帰りだということでした。仮免許を取得している長男が、誰も通らない農道で車の運転の練習をした様子を話してくれました。
そして長男は、お薦めの本を置いていってくれました。

夕方の回診の時、痛みがほとんどなくなっていたため、当初は土曜日に予定していた血液検査を金曜日に繰り上げても良いかも、という話になりました。血液検査の結果、炎症反応がなくなっていれば、その後から食事がスタートできるということです。
上手くいけば金曜のお昼か夕食から何か口にできるかもしれないということで嬉しい気持ちが隠せませんでした。
主治医とのやり取りをたまたま見ていたTちゃん「イマイチ患者になりきれてないねえ」と指摘してきました。
やっぱりそうかあ。恥ずかしいー!

入院初日 - 2010.07.24 Sat

入院を決めると、部屋の希望を聞かれました。
幾つかのランクの有料の個室もありましたが、そんな贅沢はするつもりもなく、大部屋を希望しました。
その他入院手続きに関する説明を受け、入院前検査(心電図・エコー・レントゲン)を受けると、外来のナースが消化器病棟に連れていってくれました。そこは、リハ室よりさらに3階上にありました。
ナースステーションで引き渡され、ものすごく恥ずかしい思いをしながら挨拶しました。
つい3時間ほど前、そのナースステーションに、職員としてずかずか入ったのに、カウンター越しに声をかける立場になろうとは……。

顔なじみの病棟クラーク(医療事務をする人)が、部屋まで連れて行ってくれようとしましたが、「リハ科に戻って、着替えてから出直してはいけませんか?」と聞きました。まだ白衣のままだったのです。
「すぐパジャマ(リースを頼みました)に着替えればいいじゃない」と言われましたが、そういう問題じゃなくて、白衣で入っていったら同室の方が驚くだろうと心配したんです。
結局、着替えはしないけれど、荷物は取りに行くことになり、一度リハ科に戻りました。
そこで着替え一式とカバンを持ち、既に午後の業務を始めている技師長のところに赴き、「今から入院することになりました」と報告しました。
技師長の驚いたこと!「全然具合悪そうじゃなかったけど…」と言われました。歩くのも辛い状態だったんですが、表に出てなかったんですね。
そのままエレベーターで病棟に行き、白衣のまま病室まで連れて行ってもらいました。

さすがに同室の方への挨拶は着替えてからにしました。
入院手続きが済むとナースがやってきて血圧や熱などバイタルチェックをします。
なんだか患者でいることが気恥ずかしく居たたまれない感じで、そう言ったら、ナースは自分自身の入院体験をユーモアたっぷりに話してくれて、すっと気が楽になりました。

その後、点滴をセットしてもらいました。
点滴は大好きなので、嬉しかったです(汗)
しかし、これから三日間ほど絶食が言い渡されていました。
点滴漬けの毎日で、後に私もさすがに閉口しました。

間もなく連絡を受けた夫が飛んできました。
下着類を持ってきてくれたのは良かったのですが、勝手がわからないまま手あたりしだい突っ込んできたと見え、使い物にならない季節外れのものや破れたもの(早く捨てない私が悪い)、娘のものまで混じっていました(笑)
枕の上に敷くように、とタオルを持ってきてくれたのですが、鮮やかなオレンジ色で、私はちょっと躊躇しました。
しかし、折角の厚意なので、使いました。チャドリー・キャノンズ色のロンのベッドを思い出しながら。チャドリー・キャノンズではなく読売ジャイアンツでしたけど。

夕方、仕事の終わったリハ科の同僚たちが次々にお見舞いに来てくれました。
訪問のT先輩は、私を一目見るなり、プッと噴き出しました。
いかにも患者らしいピンクのキャンディストライプのパジャマ姿が可笑しかったらしいです。
「しばらく絶食する」と告げると、Tちゃんは「悟りが開けるかも」「顔色悪くて頬がこけたら、セブルスになれるね♪」とあくまでプラス思考です。
結局金曜の朝まで入浴できなかったので、後に本当にスネイプ先生っぽくなって、トイレの鏡に映った自分の姿に見入ったのも事実です(汗)

彼らと話していると痛みも和らぎましたが、帰ると急に寂しく、「帰宅できる」ということがとてつもなく羨ましく感じられました。
入院しているというより職場に居残った、という感覚がこの日はとても強かったです。

寝る前に測ってもらうと、さらに熱が高くなっていました。
「冷やしましょうか?」と言ってくれましたが、クーラーの風が当たって寒くて仕方なかったので、断りました。
痛み止めもくれると言ったのですが、結石の痛みに比べたら薬をもらうほどではない、という感覚があったのでもらいませんでした。
が、結局寝返りも打てない痛みだったし、眠りが浅かったので、薬はもらえば良かったなと朝になって後悔しました。痛みって、どこまで我慢すべきかよくわかりません。
尤も、よく眠れななかったのは、体が熱いくせに妙に寒かったのと、点滴の管の上に乗っかってしまわないか気になっていたためもあったと思います。

入院まで - 2010.07.22 Thu

7/13に思いがけない入院をして、退院までの約1週間、実に色々な出来事があったので、記録しておこうと思います。

7/12に書いた「忍びの地図」の記事中、「昨日は眠れなかった」とあるのは、日曜日の晩、既に体調が悪かったせいでした。
その前日土曜日の夜から腹部に違和感を感じていて、冷えたかな?くらいに思っていました。
日曜日の晩には、違和感が痛みに変わっていて、でもその原因がわからず、布団の中で転々としながら忍びの地図のことなど考えていました。多分、熱もあったと思います。

翌月曜日になっても痛みは変わらないものの、出勤して患者さんを前にすると痛みを忘れました。
しかし、その晩とうとう痛みで眠れなくなってしまいました。
忍びの地図についてブログを書いた時も、実は結構痛みの最中にありました。

お腹全体が痛くて、しかも今まで体験したどの痛みとも違います。
下痢の痛みでもないし、出産や生理痛とも違う、胃潰瘍や胃炎とも違うし、結石の痛みとも違います。(結石の方がはるかに痛い)
体を丸めたり、痛む箇所を押さえたりすると少し痛みが緩和されるので、海老のような姿で横たわっていました。しかし、だんだん痛む場所に触れると余計痛くなるという具合に変化していき、身の置き所がない感じでした。

翌火曜日は、午前中いっぱい働き、受診してから帰るつもりでした。
到着するとすぐに電話を入れて予約を取り、午前中最後の外来に入れてもらいました。
その日は訪問に出ない日で、同僚たちの患者さんを分けてもらうのが常でしたが、この日は「お腹が痛いから、介助量の少ない患者さんを」と頼んで、寝たきりで意識の無いような人か、逆に自分で動ける人を担当しました。

やっと午前の業務が終わって記録をつけているところで呼び出しの電話をもらい、受診しました。
症状を話すと、医師は虫垂炎を疑いました。自分では気付いていなかったのですが、熱もありました。
血液検査とCTの結果、虫垂炎ではない別の病気と診断されました。(退院後に調べたら、CTの無い時代はよく虫垂炎と間違われ、罪も無い虫垂が随分切られた、との曰くのある病気でした)

医師は、入院を勧めてきました。
通院で点滴しながら騙し騙し治療する方法もあるけれど、悪化して結局入院ということも十分あり得る、場合によっては手術の必要もある、と言います。
どのくらいの入院が必要かと聞くと1週間だと言うではありませんか!
そんなに長く休みたくないけれど、悪化して結局入院ではもっと入院期間が長くなるだろうし、何より「通院したところで今週いっぱいは仕事を休む必要がある、運転するなんて無理」との言葉に、働けないなら、と入院を決めました。
だって、仕事を休んで自宅療養しているのに、毎日勤務先まで通うなんてばかばかしいですから。

退院しました - 2010.07.20 Tue

おかげさまで、本日無事退院しました。
明日一日休んで、木曜から職場復帰する予定です。

ご心配下さった皆さま、ありがとうございます。
多くのコメントをいただき、とても嬉しく思っています。
ブログを見てハガキを下さった方もありがとうございました。

病気は治癒したものの体力的にはまだ100%以前通りとは言えず、家もゴタゴタしている上、9時就寝という習慣ができてしまったため(笑)、当分は不定期の更新になると思いますが、またよろしくお願いいたします。

急に - 2010.07.13 Tue

入院することになりました。
退院するまで、しばらくお休みします。

忍びの地図 - 2010.07.12 Mon

昨晩は寝苦しくて、よく眠れませんでした。
寝付きが悪いと、色々なことを考えてしまいます。
考えると眠れなくなるとわかっていても、ついついスネイプ先生のことを考えてしまいます。
ふと思ったのは、忍びの地図のことでした。

忍びの地図は、ハリーがホグズミードに行けるよう、秘密の通路を教えるために双子がくれたものです。
秘密の通路を知るだけでなく、邪魔者なしで目的地に行くのに用いられたり、特定の人物を探すのに用いられました。
7巻では、ハリーがホグワーツから遠く離れた地で、ジニーの名前を地図で確認しては癒されている場面がいくつかありました。
これ、ちょっと使い方を間違えるとヤバい感じもありますね(笑)ジニーの行動をずっと監視して、トイレに行ったりシャワーを浴びたりしているのを、たとえ名前の文字であっても知ってしまうのは問題ありそう~


忍びの地図でハリーがスネイプ先生を見たのは、3巻でホグズミードに行く前に確認をした時と、6巻でロンの誕生日の朝ドラコを探そうとして先生の研究室を調べた時くらいでしょうか、本では。(映画では夜の廊下でセブルス・スネイプの文字を見ています)
そして、ハリーがわざわざスネイプ先生を探したのは、3巻だけかな。
この時は、ハリーはホグズミードに行こうとしていて、たまたま隻眼の魔女像前でネビルと会ったところにスネイプ先生がやってきて、やむなくその場を立ち去り、その後でスネイプ先生の居場所を確認するのに使っています。ちなみにこの時スネイプ先生は研究室に戻っていました。

ハリーとしては、スネイプ先生の行動を、地図使って追おうとは決して思わなかったでしょうけれど、もしそれをしていたら、色々気付くこともあったかもしれません。
1年生の時、ハリーはまだ地図を手に入れていませんが、もし持っていて、ダンブルドアの部屋で、落ち着きなく往ったり来たりするスネイプ先生の名前を発見したら、一体なんだと思ったでしょう?(その頃、双子が見ていなかったとは言えないと思います)
スネイプ先生の記憶の中では、その時くらいしか往ったり来たりしていませんが、ハリーに見せなかった記憶の中には、まだまだそんな場面もあったかもしれません。
たびたびダンブルドアの部屋で落ち着きなく動きまわる「セブルス・スネイプ」の文字を見たら、ハリーは意外に思ったんじゃないでしょうか。スネイプ先生は、ハリーたち生徒の前では大股でマントを翻しながら堂々と歩いているようですから。
また、ハリーが1年生のハロウィンの時だって生徒たちに見えないところで、こっそり三頭犬と対峙していたじゃありませんか。
7巻で校長となったときだって、表向きは鷹揚に構えていたかもしれませんが、裏では結構こまごま動き回っていたと思うんです。

生徒のために奔走するスネイプ先生の姿が、地図上でジニーを探すハリーの視界を横切ったかもしれないと思うと、ますます眠れなくなったのでした。

枠の外 - 2010.07.11 Sun

夫がある歌劇の動画を見ていました。
かつて私たちが演奏したことのある音楽を聞くのが目的ですが、舞台のTV中継録画らしいその動画を一緒に見て、おや?と思いました。

私はあまり観劇にいくことがありません。最後に観たのは、8年ほど前に行った宝塚の「トゥーランドット」だったかな。
まあ、とにかく演奏会以外で舞台を見ることはほとんどないのです。
で、TV中継と思われるその動画は、舞台全体を見せることもあるけれど、その瞬間に動きのある一部の人をクローズアップして映していることも多いのです。
TVを見ている人は、TVに映った人しか見えなくなるわけですが、カメラの枠に入らなかった舞台の上にはまだたくさんの人がいて、その人たちは、その瞬間何をしているんだろう?と思ってしまいました。
実際舞台を見ている人は、もっと全体を見ることもできるし、今重要な動きをしていない別な脇役を注目して見ることもできるのですね。
舞台を見るって、そういう楽しみ方ができるんだ!と今更ながら新鮮に思えました。

なんでそんなことを急に思ったかというと、もしハリー・ポッターを舞台にしたら、スネイプ先生ってTVカメラの枠に入らないところにいる人、みたいなイメージがあるからです。ハリーとロンとハーマイオニーはTVに映るけれど、陰で重要な働きをしているスネイプ先生の姿までは映されず、最後の最後にスポットライトを浴びて、人々の度肝を抜く感じ。

今、カメラとは全然別の視点で、たった一人の人をストーカーみたいに追う読み方をしている自分を見ると、舞台になった時、到底テレビ中継では満足できないだろうなあと思ったのでした。
(こういう読み方をしていると、当然全体が見えなくなり話の筋すらわからなくなって、スネイプ先生が主人公にしか思えなくなるのですが、自分が楽しいからそれで良し♪)

上半期の読書 - 2010.07.10 Sat

ハリー・ポッター以外の読書量が圧倒的に少ない私ですが、それでも少しは読むようになったので、忘れないよう記録を残しておこうと思います。
そんなにたくさんはないので、半年まとめて(笑)

最初の2冊は前にも書いたのでタイトルだけ。
4062749041ダンス・ダンス・ダンス(上) (講談社文庫)
村上 春樹
講談社 2004-10-15

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406274905Xダンス・ダンス・ダンス(下) (講談社文庫)
村上 春樹
講談社 2004-10-15

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今はシャーロック・ホームズシリーズにはまっています。
折角なので、出版順に読んでいます。
中にはネタバレも含みますので、未読の方はご注意ください。
4102134050緋色の研究 (新潮文庫)
コナン ドイル Arthur Conan Doyle
新潮社 1953-05

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最初に発表されて、あまり人気がでなかったという長編。
私にはとても面白かったために、これ以降続けて読もうという気になりました。

4102134069四つの署名 新潮文庫
コナン・ドイル 延原 謙
新潮社 1953-12

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ワトスンがメアリーと出会うきっかけとなった事件の長編。
これを読んで、映画とのと違いを初めて実感しました。
何で映画のホームズはメアリーを知らなかったんだろう??
冒頭の退廃的なホームズには驚きました。

4102134018シャーロック・ホームズの冒険 (新潮文庫)
コナン・ドイル 延原 謙
新潮社 1953-03

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短編集。映画に出ていたアイリーン・アドラーも最初の「ボヘミアの醜聞」で登場。
あれ?アイリーン、これだけ?というのが正直な感想でした。

4102134034シャーロック・ホームズの思い出 (新潮文庫)
コナン・ドイル 延原 謙
新潮社 1953-03

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次の映画でもしかしたらアラン・リックマンさんが演じるかもしれないとのうわさのある、例のあの人が出てくる巻。
しかし、私が思っていたほどここではモリアーティ教授は活躍せず、ちょっと肩透かしを食わせられた印象。後の巻に期待しています。
それより私が心を打たれたのは、最後の一文。
『~、ここにその経歴をはっきり書きしるさざるを得なかったゆえんは、私が生がいにもっとも愛しかつ尊敬した一人物にたいして不当の攻撃を加え、もってモリアティへの記憶を新たにせんとつとめる浅薄な輩に報いんがためである。』(1953年版、p.313)
ホームズの死に深い心の傷を負いながら、真実を伝えようと筆をとったワトスンの愛を感じるところです。

ところで、所々に出てくるホームズという人物を表す文章にハッとさせられます。しかし、ハリポタと違ってどこで目にしたかよく覚えていないので(汗)、一つだけ引用します。
「あらゆる情緒、ことに愛情のごときは、冷静で的確、驚くばかり均整のとれた彼の心性と、およそ相容れぬものなのだ」(シャーロック・ホームズの冒険p.7)
何が言いたいかというと、読んでいてその人物像が、6巻までの私のスネイプ先生のイメージと似ているな、と感じることがしばしばあるということです。
冷静沈着な推理の中には感情が入り込む隙がないところが、以前の私のスネイプ先生のイメージに近いものがあってドキッとするのです。
7巻を読んで、そのイメージは大きく修正することになったとは言え、ちょっと重なるというか、憧れを抱きたくなるような人物です。


半年で6冊、1ヶ月に1冊のペースかあ。
下半期はもっとたくさん読むのを目標にしよう。

オフ会について - 2010.07.09 Fri

来年のスネイプ先生のお誕生日まであとちょうど半年となりました。

来年も、今までと同じようなお誕生日会を開催するかどうかは、まだ決めていません。
しかし、諸事情により、1月9日当日に開催できないのは確実です。
できるとしたら、前日の1月8日(土)となります。
(こう書いた時点で、「開催する」と言っているような気もします)
ご意見ご要望などありましたら、お知らせくださいね~

ステッカー - 2010.07.09 Fri

夫の友達が、お店を開きました。
ネット上の店です。
そこで売っている品というのが、車などに貼るステッカーで、「赤ちゃんが乗ってます」というもの。
よく街中でも目にしますね。
ところが、そのステッカーは、ただの「赤ちゃんが乗ってます」じゃないのです。
「赤ちゃん」には「凶暴な」という形容動詞がついてついているのです。
ある意味、赤ちゃんはみな凶暴と言ってもいいかもしれません。
で、ステッカーに描かれた赤ちゃんもちょっと強面な感じ(笑)

「家でも買おう!」と夫は言いましたが、赤ちゃんもいないのに車に貼るには気がひけます。15年前なら確実に貼ったのに。
でも、折角だから応援したい。
そこで、つい最近二人目の子が生まれた同僚と1歳の子がいる同僚(二人目の子も妊娠中)にプレゼントしようと注文しました。
喜んでもらえるかなあ。
「うちの子は凶暴なんかじゃないよ!」って言われるかなあ。
反応が楽しみです。


DSC04302-1.jpg
恐そうな赤ちゃん
このステッカーを見た後ろの車のドライバーは、自分が何をどう注意したらいいか悩むかもしれません(笑)

ご興味のある方は、こちらまで。

「ダンブルドア」 - 2010.07.08 Thu

先々週の英会話のレッスンで、後輩が先輩をどう呼ぶのか先生に質問したことは書いたかと思います。
その後に新しく生じた、先生同士の場合若い方の先生は目上の先生をどう呼ぶのか、という疑問も次の週、つまり先週質問しました。

その答えは、生徒同様ファーストネームで呼ぶか、またはMr.やProfessorなどをつける、というものでした。
そこで私は、ハリー・ポッターの原文の一部を示して、ではなぜスネイプ先生はダンブルドアを「ダンブルドア」と敬称も付けずにファミリーネームで呼ぶのですか?と聞きました。
ちなみに示した場所は、
‘Very well. Very well. But nevre - nevre tell, Dumbledore! This must between us! ~'(7巻UK版p.545)
「なるほど。わかりました。しかし、ダンブルドア、決して―決して明かさないでください!このことは私たち二人の間だけにとどめてください!~」(7巻33章p.437)

先生は、その部分を見て、少し悩んでいました。
シリアスな場面でなければ、ジョークのようにもとれるらしいですが、ここは大変シリアスな場面で、とても冗談など言っている余裕はなさそうです。
本当のところはわからないけれど、と前置きした上で、ファミリーネームがニックネームとなっているのではないか、と先生は考えを述べました。
そういうことは時々あるらしく、先生の友人の一人は、なぜか皆に(親しい友人からも)ファミリーネームで呼ばれている、と教えてくれました。
ダンブルドアの場合は、「アルバス」より「ダンブルドア」の方が知られていて馴染んでいるから、ニックネーム化しているんじゃないか、と言っていました。

なるほど~そうでも考えないと、若い方の先生が年上の先生をファミリーネームで呼び捨てにするなんてことはないのですね。
スネイプ先生がダンブルドアに対して失礼なことをするとは思えないし、厳格なマクゴナガル先生も「ダンブルドア」と呼びかけているし、やっぱりニックネーム化しているのかもしれません。

サプライズ - 2010.07.07 Wed

昨日は長女の二十歳の誕生日でした。
記念の日ですから、万難を排して家族5人が揃うよう調整しました。
ビールで乾杯すると、ついにこの日が来たか、と感無量でした。

昨日で二十歳、ということは、今度の選挙にも投票できるんです。
投票所入場券のハガキが届いた時、今までは二人分だけだったのに娘の名前が加わって三人分あったことも、感慨深かったです。
昨年、歴史的な政権交代のあった衆議院選挙には投票できず大変悔しがっていた娘でしたが、今回のもなかなか興味深い大きな選挙なので、張り切っています。しっかり自分で考えて一票を投じて欲しいです。

昨日娘は、携帯の電池が途中で無くなるほどたくさんのお祝いメールを受け取ったようです。
しかし、一番驚いたのは、隣市に住む幼なじみのEちゃんが花束と手作りクッキーを持って訪れてくれたこと!
娘を含め、家族の誰もまるで予想していなかった訪問でした。
隣市とは言っても、最寄駅は同じだし今でも家族ぐるみでお付き合いしているけれど、それにしてもEちゃんから誕生日にプレゼントをもらうのは十年ぶりくらいだと思います。
Eちゃんが、娘の喜ぶ顔など想像しながら計画を練り、クッキーを焼き、花束を買い、バイト帰りに自転車で寄ってくれたことを思うと、有難くて有難くて。
娘だけでなく、家族一同にとってサプライズでした。

ところで蛇足ですが、母子手帳に拠れば、娘が生まれる二日前の私の体重(出産前、最後に量った体重)が、今と全く同じだったという記録も、私にとってサプライズでした!

予想外 - 2010.07.04 Sun

昨日行ったコンサートは、90年以上の歴史のあるアマチュア楽団によるものでした。
その内容についての感想は省略するとして、音楽を聴くこと以外でちょっと予想外の出来事が二つあったのでそれを書こうと思います。

一つは、司会者がNHKのアナウンサーだったこと。
柿沼さんという方で、顔は確かに見覚えがありました。
この方の司会が実に上手いんです。
淀みなくしゃべる、という意味ではなく、場の仕切り方、空気の読み方がとても上手く、会場が一体化して舞台により集中できる感じ。
サッカーワールドカップの影響で寝不足の方が多いのではないか、そこに心地よい音楽が流れてきたら……。しかし、くれぐれも鼾だけはかかないように、人間ブブゼラにはならないようお願いします、といった具合。
ユーモアと温かみがあって、とても親しみが湧きました。
NHKのアナウンサーというと、ちょっと遠い存在というか、雲の上の人のような気がしていましたが、全然そんなことないんだなあと、認識を変え、すっかりファンになってしまいました。

もう一つは、プログラムにある曲の作曲者本人が聴きに来ていたこと。
藤掛廣幸さんという方で、私の大好きな作曲家としてこのブログ内でも本サイトの管理人の自己紹介欄でもお名前を出しています。
学生時代は毎年その方の作品を演奏したし、何年か前には夫と二重奏したくて、誕生日のプレゼントとしてわざわざ楽譜をその事務所から取り寄せたくらいです。
その憧れの藤掛さんがいらしていると知って、すごく興奮してしまいました。

昨日は夫と二人で聴きに行ったのですが、部の仲間と行動をともにしていた娘も同じ会場にいました。
その娘が、一部と二部の休憩時間に私たちの席までやってきて、「藤掛さんと握手しちゃった♪」と言うのです。
「なにー!?」と私と夫は同時に声を上げました。(夫もファンです)
聞けば、友人3人と一緒に呼びとめて、○○大学のマンドリン部に所属し、大ファンであること(娘もファンです)、去年も今年も氏の作品を演奏することなどを話したそうです。
するととてもフレンドリーな対応をしてくれて、「頑張ってください」と向こうから握手の手を差し出してくれたというのです。
ひゃー!我が娘ながら、よく話し掛けた!天晴れ!
娘の予想外の行動に思わず喝采を送りました。

多忙な日 - 2010.07.04 Sun

今日、と言っても日付が変わってしまいましたが、なかなか多忙な日でした。
午前中は夫と私がそれぞれの実家に行き、午後は知人の所属する楽団のマンドリンコンサートを聞きに行き、その後は数人で飲みに行きました。
遅く帰ってきてお米を精米しないと明日の朝のご飯がない!という状況は切なかったです。

F1000030.jpg
実家近くの公園を母と散歩中にみつけたきのこ
手のひらサイズで、肉厚で、白く見えるけれど、かさの表面は薄い緑色で、ちょっと毒々しい感じ。

メッセージコメント - 2010.07.01 Thu

すみません、「黒髪・鉤鼻・土気色」の方の一言メッセージが受信できない状態になっているのに今気付きました。
gooメールがリニューアルした3月末日以降、設定が変わっていました。
今までメッセージを送ったのに返事がない、という方がいらしたら、申し訳ありませんがお知らせください。

金縛り - 2010.07.01 Thu

昨晩、珍しく金縛りになりました。
もしかしたら、結婚してからは初めてのことかもしれません。
昨日は寝不足で、変な時間に1時間以上もうたた寝してしまったのが原因だと思われます。
昔、高校時代には頻繁に起こっては、恐怖を感じたものです。
心霊現象と関係があると思っていましたから。

私が金縛りを初めて体験したのは、中学3年か高校1年くらい。
うとうとしかけた時、突然キーンという耳鳴りがしたと思ったら、体が動かなくなりました。
それ以前に友達の体験談を聞いていたので、金縛りなのだとすぐわかり、恐怖で大汗かきました。本当に死ぬかと思いました。

だいたい、昼寝をたっぷりして寝付きが悪い晩に起こるのですが、わかっていてもついつい一眠りしてから勉強するという習慣が当時身についていて、何度も苦しみました。
自分の体が動かないだけなら良いのだけれど、もし何かを見たり聞いたり感じたりしたら……というのが一番怖かったです。

幸い、何かを見たり聞いたりすることはなかったです。
それでも孤独で、隣に布団を並べて寝ていた妹に助けを求めて、何とか手を伸ばそうと試みて、やっと手に触れ、ぎゅっと握った時の安心感。
ところが金縛りが解けて目を開けてみたら、しっかり握っているはずの妹の手はなく、ただ空気を掴んでいるだけだったこともありました。手には感触が残っているのに……。

当時は心霊現象だと思ってとても恐ろしかった金縛りも、今では、脳が一部覚醒して一部眠っているために筋肉に指令が伝わらないのだ、という知識があります。
心霊現象じゃないと知ってからの金縛りは昨日が初めてだったので、ここぞとばかりに色々試してみようと思いました。

本当に頭はかなり覚醒している感じです。直前までイギリスの貴婦人(ナルシッサなのか、シャーロックホームズの登場人物なのか判別できないけれど)の夢を見ていたことを思い出しつつ、どれだけ筋肉に指令が伝わるかやってみました。
左手を上げようとしたら、思い描いた通りには持ち上がりはしなかったものの、肘から先を起こすことはできてぐらぐらゆらゆら思わぬ動きをしていた感覚がありました。しかし、それも幻の感覚だったかもしれません。目を開けることはできなかったので。
その直後に金縛りは解けてしまい、実験はおしまいになりました。

全然怖くないどころか、好奇心いっぱいでした。
また試してみたいけれど、眠りが浅いのは気持ちが良くないので、敢えて環境を整えようとは思いません。また偶然訪れる時まで待とうと思います。
そうそう、今調べてみたら、金縛りは思春期に多いようです。
なるほど、私もまだまだ思春期ということですね!

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